『スキマ』
「昭仁。何でいつも私と離れて歩くの?」
並んで歩いているわしを、は不満そうに見上げてきた。わしとの間にはいつも、40センチ位のスキマがある。
「何でってのう……」
わしはスキマに視線を当て、ほんの少し眉間に皺を寄せた。
今日は久々のオフだったから仕事が終わったを向かえに行って、近くの美味しい和食の店で食事をした。それはもちろん初めてのことではなく、何度も繰り返されていることなのに。わしとの間のスキマは埋まらない。
「……週刊誌に写真撮られたくない?」
「いや」
ここに週刊誌のカメラマンがいても、わしは何も気にしない。フラッシュがたかれても、わしはにっこり笑えるじゃろう。
「……じゃあ、彼女に悪いから?」
「いや、彼女おらんよ」
聞かれたことがないから話さずにいたけれど、わしに今彼女はいない。だから悪気など感じる筈もない。
「だったら何?私が嫌いだから離れて歩くの?」
さっきまでの沈鬱な表情から一転して、は顔に怒りを滲ませ街灯の下で立ち止まった。
「一緒にご飯食べたり、お酒飲んだり。私が嫌いだったら、そんなことしなくていいよ」
次第にの言葉は小さくなり、最後には泣いているように小さくなった。
「私と昭仁は歳も離れてるし、回りの環境も違うから。普通の友達にはなれないって、わかってるけど……」
「それが悪いんじゃ」
わしは言葉の終わりを待たずに、の左手を指差した。わしの姿を見つけると、いつも勢いよく振ってくれる手。食事をするときにそっとグラスを握る手。わしはこの手が好きで、だからこそ憎い。
「あ、昭仁?」
「これが、邪魔なんじゃ。わしがに近づけないのは、この指輪のせいじゃ……」
街灯の下で鈍く光る薬指のプラチナのリング。この指輪が、わしとの間にスキマを作る。顔も知らないの恋人の影が、そこに見えてしまうから。わしはに近づけない。「わしは、これ以上に近づけん。近づいたら、何をするかわからんからのう」
いつもの岡野昭仁は消え、ただ嫉妬に狂う男として。わしはの前に立っていた。街灯の光が、わしの本性を暴き立てた。出来るなら、ずっと隠しておきたかったのに。
「それでも離れて歩きたくないなら、それを外してくれ。一緒にいるときだけでいいから、外してくれ」
わしは怯えるから視線を外し、すっと目を伏せた。の感情など無視した傲慢な言葉だと思っても、言葉は止まらなかった。
「……帰ろう。ここにいてもどうしようもないじゃろう」
わしはを促し、のろのろと歩き出す。一度零れた言葉は、元には戻らない。
「昭仁。さっきの事は……」
「忘れてくれ。ちょっと血迷っただけじゃ」
の方を向きもせず、わしは無表情のまま家路をたどる。晴一みたいに優しくて器用な男なら、笑って冗談にも出来るだろう。でもわしには、 それ以上何も言えなかった。
「じゃあ、おやすみ」
いつものようにを家まで送り、いつもと同じ挨拶を口にしても。わしの顔に笑みは戻らなかった。
「……おやすみ」
もいつものように笑わず、手も振らずにドアの向こうに消えていった。わしとの間のスキマは、広がり過ぎて。もう修復不能な物に成り果てていた。
「ふぅ……」
帰宅するなり全ての服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて。わしは濡れた髪を乱暴にタオルでふいた。
(きっともう、には会えんのう……)
粉々に砕けた友情は、を傷つけた。わしとの間のスキマは、途方もない距離になってわしらを飲み込んだ。もう二度と、彼女に名前を呼んで貰える日は来ない。そんな感傷に浸りこんでいた時。テーブルの上の携帯電話がぶるぶると震え、着信を知らせてきた。
『……もしもし、昭仁?』携帯の向こうで響く声は、じゃった。そのまま電話を切ってしまいたい衝動を必死で押し殺し、わしは携帯を強く耳に押し当てる。
『今、昭仁のマンションの前にいるんだけど。ちょっと出て来てくれる?』
『……』
わしは何も答えずに、息を潜める。が何をしたいのか、わしには検討もつかない。罵倒されるのか、わめき立てられるのか……。
『待ってるから。昭仁が来るまで、待ってるからね』そんな言葉を残し、は電話を切った。接続が切断された冷たい音を聞きながら、わしは部屋の電気を消してブラインドを上げる。
「ほんまに、待っとるんじゃろうか……」
思わず、言葉が零れる。その瞬間、わしは携帯と財布を掴み、部屋を飛び出していた。
「……」
マンションを出てすぐ、闇の中に立ち尽くしていたの姿が見えた。その顔には、笑みも涙もない。
「ねぇ、昭仁。ちゃんと言って。私の事をどう思ってるか。私をどうしたいか」ただ真っ直ぐに、わしに向けて注がれる視線。わしが血迷ったとごまかした事の答えを、は求めていた。
「あれは……」
「冗談だとか、嘘だとか言わないで。本当の事だけ、聞かせて」
冗談にも、嘘にも。わしはもう逃げ込む気はなかった。いや、逃げ込む余裕がなかった。
「……好きじゃ。が好きじゃ。だから、わしと付き合うてくれ」
零れ落ちた言葉は、情けない位震えていた。十代の頃だって、こんなに情けない告白はしたことがない。
「やっと、昭仁の本音が聞けた」
はわしの言葉を聞いて、口元に笑みを浮かべる。そしてわしの前に、左手を差し出した。
「もう、昭仁の邪魔をする物はないよ」
わしは驚いて、の手を取る。確かにそこにあった筈の指輪は、影も形もなかった。
「私も……。私も、ずっと昭仁が好きだった。だけど昭仁は、私なんかとは住む世界が違う人だと思っていたから……」
そこまで言うとは言葉を切り、真っ直ぐにわしを見上げてくる。
「昭仁を好きにならないために、昔の彼氏から貰った指輪をずっとつけてたの。だから……」
「もう、何も言わんでええよ」
掴んだままの手を引き、わしはを自分の腕の中に閉じ込めた。
「が好きじゃ。ずっとこんな風に、に触れたかった」
「昭仁……」
わしはの髪を撫でながら、繰り返し愛の言葉を囁く。わしとの間のスキマは、今埋まった―。
終
原案 類瀬 幸則様 2005/04/09に受け取りました。
★類瀬 幸則様600HITのスペース獲得おめでとうございますv遅れましたがUPさせて頂きました。
バックステージにて、個人の感想と作者様の感想を載せたいと思いますので、みなさんお楽しみに☆
夢の感想は掲示板にて、交流ちゃって下さいな♪UP14:10 2005/05/08